佐賀地方裁判所 平成8年(ワ)78号 判決 2000年8月25日
原告・亡甲野春子訴訟承継人
甲野太郎
同
甲野夏子
右両名訴訟代理人弁護士
稲村晴夫
同
東島浩幸
同
久保井摂
被告
医療法人乙山クリニック
右代表者理事長
乙山次郎
右訴訟代理人弁護士
牟田清敬
同
安永宏
右訴訟復代理人弁護士
池田晃太郎
同
江崎匡慶
補助参加人
国
右代表者法務大臣
保岡興治
右指定代理人
西郷雅彦
外七名
主文
一 被告は原告らに対し、各金三三七八万〇五二二円及びこれに対する平成四年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用(補助参加人に関する分を含む。)はこれを五分し、その四を被告の、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は原告らに対し、金一億一四六五万七三一五円及びこれに対する平成四年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 原告らは、原告夏子が原告らの子を出産するにあたり、被告病院で子宮頸管熟化剤マイリスの投与を受けた直後にショック状態に陥り、出生した子が重篤な無酸素性脳症等に罹患して五歳七か月で死亡したこと(以下「本件医療事故」という。)について、被告病院の医師の治療に過失があったと主張して、被告に対し使用者責任又は債務不履行責任に基づく損害賠償を求めるのに対し、被告は医師の過失を争っている。
二 争いのない事実等<省略>
三 争点<省略>
四 争点に関する各当事者の主張
<省略>
第三 判断
一 本件の経過等
前項争いのない事実に加え、証拠(甲一、乙三、乙四ないし六、乙一五、証人神代克子、原告夏子、被告代表者)によれば、以下の事実が認められる。
1 初回マイリス投与までの経過
(一) 原告夏子は、本件医療事故以前に薬物、食物アレルギーやぜんそくの既往歴はなく、乙山医師に対し初診時にその旨申告していた。
(二) 初診後の妊娠経過は概ね順調であったが、原告夏子の体重増加が普通より多く、尿に糖が出ていたほか、平成四年四月二七日以降、胎児が妊娠週数にして三週間程度先行して成長する巨大児傾向があった。
(三) 乙山医師は、平成四年七月一日(三七週目二日)の定期検診で、原告夏子に対し内診を行い、軟産道(膣壁から子宮口まで)が強靭で、子宮口は無理に一指が挿入できる程度で非常に硬く、ビショップスコア零点との所見を得、子宮頸管熟化不全と診断した。そして、原告夏子が初産婦であること、腹部の緊張の状態、超音波断層の画像による胎盤の加齢、児頭の下降や子宮口の熟化の状態などから、出産予定日(一八日後)までに子宮口の熟化が自然に進むとは考えにくく、また胎児は以前として巨大気味で、他方原告夏子本人は一五五センチメートルと小柄であることなどから、このままでは難産になるおそれが強いと考え、自然陣痛発来までに子宮頸管の熟化を促進する目的で、週二、三日の割合でマイリス二〇〇ミリグラムを投与する治療方針を決め、同日初回投与を行った。
(四) なお、乙山医師は、原告夏子に対し、同年六月ころから胎児が二週分程度大きい旨話しており、初回マイリス投与にあたっては、胎児が大きくて子宮口が硬く、このままでは出産がきつくなるので、出産までに子宮口を柔らかくする薬を一日おきに注射をする旨の説明をしたが、副作用等については特に説明しなかった。
2 初回投与時の症状
原告夏子は、初回投与後一〇分ほどで、口の周りの軽度のしびれ、肘や首などのかゆみを感じ、乙山医師は、診察の結果、額にポツポツと発疹が出ているのを確認したが、血圧、脈拍には異常がなかった。乙山医師は、右症状を急性湿疹と診断し、原因は不明であるが何らかのアレルギー様症状であると判断して、抗アレルギー剤であるネオファーゲン一アンプルを投与した。右処置により、原告夏子の症状はまもなく軽快した。
なお、乙山医師は、右治療の際、原告夏子に対し、「おかしいね。この薬(マイリス)でそんなふうになるはずないのにね。」などと話し、また、原告夏子から次回も予定どおり(マイリス投与のために)来院するのか確認されて、そうするよう指示した。
3 初回投与時の症状についての乙山医師の判断
乙山医師は、前示の湿疹等がマイリス投与後に発生したことから一応マイリスによる薬剤アレルギーを疑ったが、症状が薬物アレルギーとしては弱すぎると思われたことや、昭和五九年ころから一〇年以上にわたるマイリスの使用歴において副作用例を見聞したことがなく、極めて安全性の高い薬剤であると認識していたことなどから、右投与が原因ではない可能性が高いと考えた。ただし、注射速度が原因で具合が悪くなった可能性もあると考え、二回目の投与の際には、看護婦(准看護婦糸山と思われる。)に対し、前回の投与時の症状を伝えてゆっくり注射するよう指示し、原告夏子に対しては、今回症状が出れば再度の投与はしない旨説明した。そして、この二回目の投与時には原告夏子に特に異常は出なかったため、乙山医師は、初回投与時の症状はマイリスによるものではなかったと断定した。
4 破水後、本件マイリス投与までの状況
原告夏子は、平成四年七月四日午前八時三〇分ころ自宅で破水し、同日午前一〇時ころ被告医院に入院した。この時点で、陣痛発来はなく、子宮口は開大一指くらいで硬く、ビショップ・スコア二(頸管熟化の基準は五)で、依然として子宮頸管熟化不全の状態であった。そのため乙山医師は、陣痛発来までに少しでも子宮口を軟化させる目的で再びマイリスを投与することとし、同日午前一一時ころ、看護婦神代に投与を指示した。なお、乙山医師は、右指示に際し、原告夏子の初回投与時の症状については特に告知しなかった。
5 本件マイリス投与の状況
(一) 看護婦神代は、同日午前一一時一〇分ころ、原告夏子にマイリス二〇〇ミリグラムを注射した。この際、同看護婦は、前項のとおり何ら申送りを受けていなかったため、特に注射速度を遅くする等の配慮はせず、通常の速度で注射した。
原告夏子は、右注射の途中、看護婦神代の注射速度が非常に速いと感じて不安を覚え、「この注射は今までと同じ注射か。」と尋ね、さらに「この注射で具合が悪くなったことがある。」旨申し出たが、そのころには既に注射は終わっていた。
(二) なお、原告夏子は、本件マイリス投与については、神代看護婦から注射をする旨告げられただけで、その他には何ら説明がなかった旨供述する。
この点、被告代表者(乙山医師)は、「細かい治療方針等は説明していないかもしれないが、子宮の入り口が全然熟化していないので陣痛が来る前にマイリスを打ちましょう、という程度の説明はした。通常はそうしていた。」旨、証人神代克子は「本件について具体的な記憶はないが、子宮の入り口が柔らかくなるお注射ですよ、というふうに毎回必ず説明している。」旨それぞれ供述しており、右各供述内容に照らせば、本件投与時に限って注射の目的等につき何らの説明もなされなかったとは考えにくい。しかしながら、右各供述によっても、乙山医師らが原告夏子に対し、投与する薬剤が初回投与時と同じ薬剤であることを意識しつつ、明確に説明したとは認められず、また、治療方針、マイリスを使用しない治療方法の有無等については全く説明しなかったものと認められる。
(三) ところで、原告らは、看護婦神代は本件投与を約三〇秒程度で急速に行った旨主張し、原告夏子もこれに沿う供述をする。しかしながら、右供述に係る認識は客観的で明確な根拠に乏しいことに加え、本件投与には通常静脈注射に用いられるなかでも最も細い二三ゲージの注射針が用いられているのであるから、一般的なやり方で注射する限りにおいては三〇秒程度で投与を終えることは通常困難であるところ、当時約一〇年の臨床経験がある神代看護婦において、本件投与につき特に急いで注射を終えねばならなかった等の事情は認めがたい(証人神代、被告代表者)から、原告らの右主張中、注射に要した時間を約三〇秒程度とする部分は採用できない。もっとも、そうだとしても、同看護婦自身、マイリスの注射速度に関する能書の指示は特に意識しておらず、また初回投与時の症状を聞いていれば注射速度は相当変わっていたと思う旨供述していることからすると、本件投与は、能書上必要とされる二分(後述)よりは相当短い時間で行われたものであり、少なくともアレルギー症状を警戒しながら意識的に緩徐に行われた二回目の投与に比較すれば相当に急速に行われたというべきである。
6 本件マイリス投与後の原告夏子及び春子の状況
(一) 原告夏子は、注射が終わった直後から少し気持ちが悪いと感じ始め、同日午後一一時二三分ころから、胎児心拍数の異常とともに、原告夏子に血圧低下、呼吸困難、腹痛、冷汗、手足のしびれ等のショック症状が表われた。乙山医師は即座に酸素投与を行い、また、その他必要に応じ応急措置をとった上、同日午前一一時五〇分、原告夏子を国立佐賀病院に救急搬送した。原告夏子は、同病院到着した同日午後零時ころまでには症状が落ち着き、帝王切開による出産後の経過は概ね良好であった。
(二) 他方、春子は、新生児仮死の状態で出生し、当初から自力での哺乳が困難であるなどの異常がみられ、新生児けいれん、無酸素性脳症と診断された。同児は、同年八月一五日、いったん国立佐賀病院を退院したが、その後、同年九月下旬ころから度々けいれん発作を起こすようになり、同年一〇月一八日から同月二一日まで、再度同病院に入院して、点頭てんかんとの診断を受けた。その後も、春子は、座ったり歩行したりはもとより、首も据わらず寝たきりで、度々てんかん発作を起こし、また、重度の精神運動発達遅滞の状態にあって発語もなく、原告らによる全面介護を要する状態が続き、平成一〇年二月二一日、特段の原因なく突然死亡するに至った。
二 本件医療事故の原因等について
1 マイリスについて
証拠(甲一九、二〇、乙一、鑑定)によれば、マイリス(プラステロン硫酸ナトリウム、慣用名デヒドロエビアンドロステロン・サンフェート(DHA―S))は、妊娠末期の子宮頸管熟化不全の治療薬として開発され、昭和五五年一〇月に注射剤が承認された薬剤であり、ヒト副腎より分泌される内因性のステロイドホルモンを主成分とし、子宮頸管に直接作用してその熟化を促進する効果が認められている。能書上、用法として、妊娠末期の妊婦に一〇〇〜二〇〇ミリグラムを一日一回、週二、三回、静脈内に注射をすること、適用上の注意として、一〇〇ミリグラム/一〇ミリリットルを一分以上かけて静脈内に注射すること、などが指示されている。
同剤の能書上の副作用に関する記載は、本件医療事故当時は前示第二の二8のとおりで、本件発生以後であるものの、平成四年一一月にショックに関する記載が、平成八年一〇月に胎児徐脈に関する記載がそれぞれ追記され、さらに、平成一一年一二月改定版で、「重大な副作用」として、ショック(0.1パーセント未満)・アナフィラキシー様症状(頻度不明)を起こすことがあるので、観察を十分に行い、チアノーゼ、呼吸困難、胸内苦悶、血圧低下、蕁麻疹等の異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと、また、胎児徐脈(頻度不明)、過強陣痛(頻度不明)を起こすことがあるので、異常があれば直ちに投与を中止することなどの記載がなされた。また、平成一二年三月の厚生省医薬安全局の医薬品・医療用具等安全性情報で、右追加事項についての安全情報が行われた。
2 本件マイリス投与と原告夏子、春子の症状との因果関係について
本件マイリス投与と原告夏子のショック症状及び春子の障害との間に因果関係があることについては、当事者間に争いがない。
なお、鑑定は、本件医療事故の機序について、要旨「原告夏子の症状はマイリスによるアナフィラキシー・ショックであり、右ショックにより母体の循環虚脱が起きるとともに、アナフィラキシーショックによってプロスタグランディンのような子宮収縮物質が放出されて過強陣痛が発生した結果、胎児への酸素供給が減少し、春子に低酸素性の脳性麻痺を来した」とし、当事者らも概ね右内容を争わないが、原告夏子に生じた過強陣痛の原因としては、鑑定のいうアナフィラキシーショックによる子宮収縮物質の放出のほか、前項のとおり現在の能書上明記されているマイリスそのものの副作用も考えられる。
三 乙山医師の過失について
以上の事実を前提に、乙山医師の過失について検討する。
1 マイリスの適応を誤った過失の有無について
前示のとおり、原告夏子は、マイリスの初回投与を受けた平成四年七月一日、妊娠三七週二日に入った時点で子宮頸管熟化不全であり(前記一1(三))、また、本件マイリス投与の時点(前期破水後)でも未だ子宮頸管が未熟であった(前記一4)から、子宮頸管熟化不全の治療薬として一般に承認されたマイリスを使用するという選択の妥当性は一般的に存在したというべきである。
もっとも、証拠(被告代表者、鑑定)によれば、妊娠末期に入って子宮頸管が未熟であっても、また、前期破水時点でなお熟化が不十分であっても、陣痛発来までに自然に熟化が進む場合もあり、したがって、子宮頸管熟化不全の妊婦に対する処置としては、何もせずに経過を観察し、前期破水後も一二時間ないし二四時間程度は待機して様子をみる方法も一般的に採られていることが認められる。
しかしながら、陣痛発来までにどの程度自然に熟化が進むのか予測は困難であり(被告代表者、鑑定)、単なる待機では、熟化不全に対する積極的な処置を早期に採る方法と比較して、子宮頸管熟化不全のまま分娩を迎えて難産になったり、母子の生命身体の安全上一定の危険を伴う帝王切開や吸引分娩等の措置を採らざるを得なくなる事態になるリスクは増えると思料される上、乙山医師は、七月一日時点で原告夏子を内診し、陣痛発来までに自然かつ急激に熟化が進むことは期待しがたいと判断してマイリスの投与を決定し、また、本件投与についても、当時の原告夏子の診察結果から、陣痛発来までに頸管の熟化を促進する必要があると判断したものであるから、右各投与はそれ自体医師に許された裁量の範囲を逸脱したものと断ずることはできない。
よって、乙山医師には、少なくともマイリスの適応それ自体を誤った過失はない。
2 アレルギーが疑われる薬剤を再度投与した過失の有無について
(一) 証拠(甲一一、一二、証人大島及び鑑定)によれば、一般に過去にアレルギーを起こしたことのある薬剤は、副作用として特にショックが掲げられていると否とを問わず、再度の投与によってショックを含む重篤な症状を惹起する危険があり、そのリスクを上回る必要性が認められる場合は別として、基本的には、同一薬剤の再度投与は回避すべきである。
(二) ところで、乙山医師は、初回マイリス投与時の原告夏子の症状について、何らかの原因によるアレルギー反応であると診断しながら、二回目の投与時に何らの異常がなかったことなどから、前示一3のとおり、右症状の原因はマイリスではないと断定している。
しかし、第一に、原告夏子の初回投与時の症状は、いずれもマイリスの能書に明記されていたもので、特に「しびれ」は比較的特異な症状であると思われ、いずれもマイリス投与後約一〇分ほどで生じていること、薬物アレルギーであれば一般的に右以上の顕著な症状が出ると認めるに足りる証拠はなく、また他に特定の原因はみあたらないこと等の諸事情にかんがみれば、初回投与の時点で、マイリスが原因である可能性は低いとみる根拠は薄弱であったと言わざるを得ない。また、乙山医師自身「アレルギー反応が起きるかどうかは体質的なもののほか、投与当時の瞬間的な体調的なものもあると思う。」旨述べるように、特定の物質によりアレルギー反応が生じるか否かは、時々の患者の体調や投与の方法等にもよると思料され、一度アレルギー症状を惹起した薬剤であれば再度の投与時に必ず症状が出るとはいいえない(なお、鑑定は、原告夏子のショック症状がマイリスによるアナフィラキシーショックであったと考える根拠として初回投与時の症状を挙げており、二回目の投与時に何ら症状が出なかったことを踏まえた上でなお初回投与時の症状の原因をマイリス投与と判断していることが読みとれる。)。そうすると、二回目の投与時に何らの異常がなかったことは、原告夏子がマイリスに対するアレルギーを有する疑いを完全に否定するものではなかったというべきである。
(三) そこで、原告夏子にマイリスに対するアレルギーの疑いがあったことを前提に、なお本件マイリス投与の必要性が認められるかについて検討する。
証拠(証人大島、被告代表者、鑑定)によれば、マイリスの子宮頸管熟化作用は、子宮頸管熟化不全の妊産婦を同剤の投与の有無によって群別し比較すれば肯定できるものの、陣痛促進剤のように個々の症例についてほぼ一定の効果を期待できるようなものではなく、臨床医の間でもその評価は分かれており、当時、マイリスを全く使用していない病院もあったことが認められる。そして、乙山医師は、二回目の投与でマイリスに対するアレルギーを確認すれば、原告夏子に対するマイリス投与を中止する予定だったのであるから、本件において、アレルギーが疑われる薬剤を再度投与することによる副作用発症のリスクを上回るマイリス投与の必要性があったとは認められない。
(四) なお、被告は、本件医療事故の平成四年七月当時は、マイリスによるアナフィラキシー・ショック等の重篤な副作用は一般には知られておらず(なお、前示二1)、本件のような甚大な結果が生じることは到底予測不可能であった旨主張して乙山医師に本件マイリス投与を回避すべき義務があったとはいい難いと主張するが、前示のとおり、本件は、少なくともマイリスに対するアレルギーの疑いが否定できなかった症例であり、薬剤の一般的な副作用とは別に、アレルギー既往歴のある薬剤を再度投与した場合にはより重篤なアレルギー症状が発症するなどの危険性は予測可能であったといえるから、被告の主張は採用できない。
(五) よって、乙山医師には、初回投与時の原告夏子の症状にかんがみて、本件マイリス投与を回避すべき義務があったのに、これを怠った過失がある。
3 マイリスの投与に際し説明義務を怠った過失の有無について
また、前示の経過に加え、アレルギーの既往がある薬剤を投与することの危険性の大きさにかんがみれば、医師としては、本件マイリス投与に際し、原告夏子に対して、投与する薬剤が初回投与時と同じものであることを明確に伝えた上で、仮に初回投与時の症状がマイリスに対するアレルギー反応だった場合の再度投与の危険性や、同剤の有効性についての一般的な評価、マイリス投与以外の方法について事前に十分な説明を行い、投与を受けるか否かを検討する機会を与えるべきであった(なお、二回目の投与の際も、乙山医師は、今日症状が出たら投与はやめる旨原告夏子に伝えたのみで、マイリスの危険性等や、これを使わないやり方もないわけではないこと等につき十分な説明を尽くしたと認めるに足りる証拠はない。)といえ、また、仮に右一連の説明義務が尽くされ検討の機会が与えられていれば、原告夏子がマイリスの使用を拒否した可能性も否定できない。
よって、乙山医師には、本件マイリス投与にあたり、原告夏子に対する説明義務を尽くさなかった過失がある。
4 マイリスの投与方法を誤った過失の有無について
さらに、仮に本件マイリス投与自体は相当であったと仮定しても、初回投与時の症状にかんがみれば、本件投与に際しては、少なくとも二回目の時と同様、原告夏子の体調を確認しながら、異常が表われる可能性があることを前提として、異常が表われないかどうかにつき細心の注意を払いつつ、注射には十分な時間をかけて行うべき注意義務があったといえる。
しかるに、乙山医師は、看護婦神代に対し、右のような方法をとるよう指示しなかったばかりか、初回投与時の症状自体を伝えなかったため、同看護婦は、前示一5(三)のとおり、アレルギーについて特に考慮せず、マイリスの静脈注射に際して通常必要とされる時間に比しても相当短かかったのではないかと疑われる速い速度で注射を行ったのであって、もし、本件投与が右のような適切な方法で行われていれば、本件のような重大な結果は回避できた可能性も否定できない。
そうすると、乙山医師には、本件マイリス投与の際、看護婦に対する適切な指示を怠り、不適切な方法で投与を行わせた過失がある。
四 損害
1 逸失利益
二三〇五万二七四四円
春子は、平成四年生まれで、死亡当時五歳の女子であり、本件医療事故がなければ一八歳から六七歳までの四九年間就労し収入を得られたはずであるから、平成一〇年度(春子死亡時)賃金センサスの産業計、企業規模計、女子労働者平均賃金の年間合計三四一万七九〇〇円を基礎とし、その三〇パーセントを生活費として控除し、年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除して算出すると、その逸失利益は二三〇五万二七四四円となる。
(計算式)
3,417,900×(1−0.3)×(19.0288−9.3935)
2 付添看護婦
二〇二一万五〇〇〇円
前示のとおり春子は出生から死亡まで全面介護を要したところ、原告夏子によれば、原告らは、平成四年八月一日以降春子死亡まで、二〇三一日にわたって右介護にあたったことが認められる。ただし、甲一によれば、春子は、平成四年八月一日から同月一五日まで及び同年一〇月一八日から同月二一日までの計一九日間は国立佐賀病院に入院していたことが明らかである。以上をふまえると、介護に関する原告らの損害は、春子が入院していた一九日分については一日五〇〇〇円、その余の二〇一二日については一日一万円として、二〇二一万五〇〇〇円と評価するのが相当である。
3 慰謝料
本件訴訟に表われた資料を総合勘案すると、本件による慰謝料は左記の額とするのが相当である。
(一) 春子分 一八〇〇万円
(二) 原告ら分 各二〇〇万円
4 葬儀料 一〇〇万円
5 弁護士費用 六六二万円
本件事案の内容等を勘案すると、弁護士費用相当の損害額は、六六二万円(原告ら各三三一万円)を認めるのが相当である。
6 前記1ないし5の合計額(七二八八万七七四四円)から原告らが認める既払分五三二万六七〇〇円を控除した金額は、六七五六万一〇四四円であり、原告らが春子から相続した分と原告各自の分とを合計した損害は、各三三七八万〇五二二円となる。
五 以上の次第で、原告らの請求は、原告らに対し、各三三七八万〇五二二円及びこれに対する本件医療事故発生の日である平成四年七月四日から各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを認める限度で理由がある。
(裁判長裁判官・亀川清長、裁判官・早川真一、裁判官・福島恵子)